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1555年、明の世宗の御典医の1人が、朝廷の暴政に不満を抱き、帝都を逃げ出しました。 その御典医は、転々とした後、章州まで渡り、東門外璞山岩寺で僧となります。 彼は一般大衆が疫病に苦しんでいる状況を目撃し、かつての医者として世を救おうと 決心しました。 そして、宮廷の極秘処方と製法をもとに、麝香、牛黄、蛇の胆、田七人参、等の貴重な天然薬材を使用し、片仔廣(片仔こう)を作り出したのです。 |
当時は「八宝丹」という名で広がりましたが、「一片をもって廣を退ける(消炎)ことが出来る?薬ということで、片仔廣と呼ばれるようになりました。 この薬は、打ち身、火傷などの各種の傷、化膿、原因不明の病毒による腫れ、炎症による 痛み、発熱などに顕著な治療効果があったようで、服用しても患部に湿布してもよく、人々から非常に歓迎されました。 また、華僑の移住に伴い、海外においても大きな称賛を得ていきました。 |
そして、1911年頃に璞岩山の僧侶が章州東門に馨苑茶荘という製薬所を作り、片仔廣の製造を専門的に開始しました。 この馨苑茶荘は1956年に同善堂聯合製薬廠に合併され、その後、現在のショウ州市製薬廠と改称されたのです。 |
現代医学の研究と臨床鑑定の結果、片仔廣は中国の「国宝神薬」と呼ばれるようになり、 『榮獲國家品質金奬』(国家金質賞)、『中国万病を克服する星コンテスト金賞』、 『中国中薬ブランド製品』の称号を獲得、中国において「国家一級中薬保護品質」・列せられました。 |